2025年5月25日日曜日

ギュスターヴ・ドレはなぜ再現しがたいのか?

ギュスターヴ・ドレはなぜ再現しがたいのか?

― 機械学習では到達しえない“人間の乱数” ―

19世紀の幻想挿絵画家ギュスターヴ・ドレ(Gustave Doré)の作品は、技術や構図の模倣を超えて、「何か得体の知れない気配」を感じさせる。そこには、AIや現代のデジタルツールでは再現困難な“人間由来の乱数”が刻み込まれている。

セオリーを無視して生まれた強度

ドレは美術学校に正式に通ったわけではない。独学で絵を学び、10代で出版社に売り込んで以降、神話・聖書・地獄・革命・戦争といったテーマをひたすら描き続けた。そのため、彼の構図や線には、アカデミズムの「正解」から逸脱した奇妙な独自性がある。

  • 過剰とも言える密度
  • 異常な遠近感
  • 重力を否定するような群像配置

これは、通常のデッサン教育では矯正される部分だ。しかしドレはむしろ、それらを意図的に制御できる“逸脱”として武器化している。

機械学習が模倣できるもの、できないもの

現代の画像生成AIは、ドレ風の絵をそれらしく描くことは可能だ。陰影、構図、線の細かさは、学習データが十分にあれば模倣できる。

だが――その絵は、なぜか「ドレそのもの」ではない。

理由は明確だ。AIは確率分布の中から最も“ドレっぽい”選択肢を選ぶことは得意でも、ドレのように確率を裏切る乱数的決定を“生きた意図”として織り込むことができないからだ。

脳構造とトラウマという乱数発生器

ドレの絵に刻まれているもの。それは、視覚的な技術や様式だけでなく、彼自身の脳構造、発達過程、トラウマ、性格傾向、時代背景といった複雑な要素が交錯して生まれた「人間的ゆらぎ」だ。

  • 子ども時代の孤独
  • フランス第二帝政下の社会不安
  • 頻繁に描かれる死・天罰・贖罪といったモチーフ

これらはランダムではなく、確率論では表現できない“意味のある乱数”として絵の中に埋め込まれている。

ドレの「非線形的創作」の深淵

ドレの描線は、対象の輪郭をなぞるのではなく、内部から震えるように発生している。これは観察と模倣ではなく、彼の内部にあるイメージ生成エンジンから出力されたものだ。情報の蓄積→処理→出力、という直線的な学習過程ではなく、

「ある日、急に思い浮かぶ図像を一気に吐き出す」

ような非線形の創作パターンを持っていたと思われる。これは現在のAIには再現できない生成プロセスだ。


結論:「ドレ風」ではない、「ドレ本人」にしかできない

ギュスターヴ・ドレは、技術だけでなく精神や内的衝動の全体から絵を生み出していた。その乱数的・非線形的な思考と美的判断の連鎖は、模倣では届かない“人間存在の固有性”そのものだ。

彼の描く世界に宿るあの緊張感、どこかヒビの入った空気、痛みに満ちた光と影――それらは、計算ではなく、宿命に近い“ズレ”の上に成り立っている。

だから、我々は「ドレ風」をどれだけ再現しても、本物のドレには永遠に届かないのだ。


※本記事は、アーティストの創造性とAI技術の限界に関心のある読者を想定しています。ご自身の制作や鑑賞の視点に重ねて読んでいただければ幸いです。

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