2025年5月19日月曜日

物理的生存率としての版画美術の生存戦略

物理的生存率としての版画美術の生存戦略

― 分霊箱としての作品生命と、美術遺産に刻まれた呪的拘束 ―

美術は、単に「美しいもの」の創出ではない。とりわけ版画は、その複製可能性において、他の美術ジャンルとは異なる「生存戦略」を持つ。ここで言う「生存」とは、物理的な現世的延命のことだ。そして、版画が物質としてこの世界にとどまり続けるということ自体が、人類文化に対するある種の呪術的拘束として作用していることを、私たちはもっと意識的に捉えてよいのではないか。

■ 分霊箱としての版画

J.K.ローリングの『ハリー・ポッター』に登場する「分霊箱(Horcrux)」は、魂の一部を他の物体に隠し入れることで不死を目指す魔術である。この概念は、案外と版画芸術に通底する思想である。作者の意図、手技、集中、無意識、嗜虐と愉悦…それらが刻印され、転写され、複製される版画作品は、まさに作者の「一部」であり、世界に分配された霊的断片に他ならない。

1点ものの油彩や彫刻と異なり、版画は数十、数百単位で頒布される。その分、作者の存在確証(エクリチュールのような)は希薄になるかもしれない。だが、皮肉にもそれこそが、作者をこの世界にしぶとく長く結びつける呪術として機能するのだ。

■ 複製がもたらす「在り続ける力」

物理的に分散された作品群は、時に美術館の奥底に、時に個人の書斎の壁に、またある時は蚤の市の箱の底にある。だがそれらはいずれも「同一の霊的コード」を共有している複体(アグリゲート)であり、個々に作者の霊的意志の「触媒」となる。

それゆえ、どれか一枚でも残っている限り、作者は「ここにいた」という存在証明を世界に対して行い続ける。この点において、版画は、時の淘汰に抗う美術のゾンビ化装置とも言える。

■ 呪物化する美術遺産

美術館やコレクションに所蔵された作品は、「文化的資産」であると同時に、我々に対する行動制約の発生源でもある。

たとえば「失われると困る」「守らねばならない」「解釈し続けなければならない」といった感情は、作品が我々に与える無意識の呪術的拘束そのものだ。作者が死してなお、その残した版画作品は我々に記憶の強制と反応の継続を課す。「忘れてはならない」「敬意を払え」「破壊してはならぬ」と。

これが、現代においてもなお「美術館」という制度が機能し続ける理由の一つだ。そこは、霊的な記憶を冷蔵保存する墓所であると同時に、人類の行動を律する呪物の保管所でもある。

■ 最後に:美術とは、文化に仕込まれた「まじない」である

版画は、芸術表現である以前に、人類の生存本能と結びついた物理的延命の装置である。そこに刻まれた線、色、圧力、余白、刷り損じすらも、すべてが「在ること」の証明として機能する。

このようにして版画作品は、ただ壁に飾られるだけでなく、人類社会に魔術的影響を及ぼす装置=分霊箱として存在し続ける。そこには祝福と呪詛、愛と執着、希望と拘束が、ひとしく込められている。


追記(あるいは注意書きとして)

本記事は、版画に関する個人的な観念的・呪術的視点から構成された思索的エッセイであり、科学的あるいは歴史学的な厳密さを主旨としていない。だが、作者自身の実作の現場においては、こうした「まじないとしての美術」の視点が、不可欠な創作指針となっていることをここに記しておく。

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