2025年5月29日木曜日

石に刻まれた革命:リトグラフが日本にやってきた日

石に刻まれた革命:リトグラフが日本にやってきた日

石に刻まれた革命:リトグラフが日本にやってきた日

幕末から明治へ、印刷技術が世界を写し取る時代

◆ 幕末、フランスから届いた"魔法の石"

時は1860年代、開国の余波がまだ冷めやらぬ江戸後期。一台のリトグラフ機が、フランス政府から徳川幕府へと贈られた。 それは、石の板に絵を描き、何百枚も正確に刷り出せるという──当時の日本では考えられなかった驚異の技術だった。

活字印刷がようやく根づき始めた時代。そこに突如現れた、筆致をそのまま残し、色を重ね、絵の魂を複製する技術。この"魔法の石"は、 政治の記録、軍事地図、美術の複製、そして知の翻訳手段として、幕府の技術者たちを魅了した。

◆ 明治維新と「殖産興業」──印刷機械の国産化が始まる

明治政府が掲げたスローガンのひとつが「殖産興業」──西洋技術を取り入れ、国力を増すという野心的な計画だ。 印刷技術も例外ではなかった。ドイツやフランスから持ち込まれた石版印刷機は、東京や大阪の技術者たちによって分解・研究され、 しだいに国産化への道を歩み出す。

当初はただの模倣にすぎなかった。しかしやがて、日本の美術的センスと職人技が融合し、手動式のリトグラフプレスから、 半自動・多色印刷対応の機械へと進化していく。特に東京機械製作所など、明治中期に興った機械製造企業がこの動きを支えた。

◆ クロモリトグラフの黄金時代と雑誌文化の躍進

大正時代、日本の都市には活気が満ち、メディアが急速に拡大した。印刷文化の中心には、「彩り」があった。 クロモリトグラフ──すなわち多色石版印刷技術の登場である。

それは単なる複製技術ではなかった。風景画、舞台の宣伝ポスター、商品ラベル、美術書……。 多色刷りのリトグラフは、日本中に「美」を流通させた。博文館が手がけた絵入り雑誌や、 美術雑誌『国華』の挿画などは、今なおクロモリトグラフの金字塔として語り継がれている。

◆ 静かに幕を閉じる石の時代

しかし技術革新は止まらない。1930年代に入ると、オフセット印刷機という新たな主役が登場する。 安価・高速・量産向き。この利点がクロモリトグラフを押しのけ、ついには石版印刷は職人とともに静かに舞台を去った。

だが忘れてはならない。この石の技術がなければ、日本の近代美術も、印刷文化の多様性も、決して花開かなかっただろう。 今も美大や一部の工房では、ひそやかにこの技術が息づいている。音もなく滑る石の上のローラーの音に、時代の記憶が宿る。

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      |     石版印刷プレス機     |
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▲ 明治時代のプレス機を模したイメージ

本記事は、史料考証とAIによる構成支援をもとに、歴史ブロガー向けに作成されました。

2025年5月25日日曜日

ギュスターヴ・ドレはなぜ再現しがたいのか?

ギュスターヴ・ドレはなぜ再現しがたいのか?

― 機械学習では到達しえない“人間の乱数” ―

19世紀の幻想挿絵画家ギュスターヴ・ドレ(Gustave Doré)の作品は、技術や構図の模倣を超えて、「何か得体の知れない気配」を感じさせる。そこには、AIや現代のデジタルツールでは再現困難な“人間由来の乱数”が刻み込まれている。

セオリーを無視して生まれた強度

ドレは美術学校に正式に通ったわけではない。独学で絵を学び、10代で出版社に売り込んで以降、神話・聖書・地獄・革命・戦争といったテーマをひたすら描き続けた。そのため、彼の構図や線には、アカデミズムの「正解」から逸脱した奇妙な独自性がある。

  • 過剰とも言える密度
  • 異常な遠近感
  • 重力を否定するような群像配置

これは、通常のデッサン教育では矯正される部分だ。しかしドレはむしろ、それらを意図的に制御できる“逸脱”として武器化している。

機械学習が模倣できるもの、できないもの

現代の画像生成AIは、ドレ風の絵をそれらしく描くことは可能だ。陰影、構図、線の細かさは、学習データが十分にあれば模倣できる。

だが――その絵は、なぜか「ドレそのもの」ではない。

理由は明確だ。AIは確率分布の中から最も“ドレっぽい”選択肢を選ぶことは得意でも、ドレのように確率を裏切る乱数的決定を“生きた意図”として織り込むことができないからだ。

脳構造とトラウマという乱数発生器

ドレの絵に刻まれているもの。それは、視覚的な技術や様式だけでなく、彼自身の脳構造、発達過程、トラウマ、性格傾向、時代背景といった複雑な要素が交錯して生まれた「人間的ゆらぎ」だ。

  • 子ども時代の孤独
  • フランス第二帝政下の社会不安
  • 頻繁に描かれる死・天罰・贖罪といったモチーフ

これらはランダムではなく、確率論では表現できない“意味のある乱数”として絵の中に埋め込まれている。

ドレの「非線形的創作」の深淵

ドレの描線は、対象の輪郭をなぞるのではなく、内部から震えるように発生している。これは観察と模倣ではなく、彼の内部にあるイメージ生成エンジンから出力されたものだ。情報の蓄積→処理→出力、という直線的な学習過程ではなく、

「ある日、急に思い浮かぶ図像を一気に吐き出す」

ような非線形の創作パターンを持っていたと思われる。これは現在のAIには再現できない生成プロセスだ。


結論:「ドレ風」ではない、「ドレ本人」にしかできない

ギュスターヴ・ドレは、技術だけでなく精神や内的衝動の全体から絵を生み出していた。その乱数的・非線形的な思考と美的判断の連鎖は、模倣では届かない“人間存在の固有性”そのものだ。

彼の描く世界に宿るあの緊張感、どこかヒビの入った空気、痛みに満ちた光と影――それらは、計算ではなく、宿命に近い“ズレ”の上に成り立っている。

だから、我々は「ドレ風」をどれだけ再現しても、本物のドレには永遠に届かないのだ。


※本記事は、アーティストの創造性とAI技術の限界に関心のある読者を想定しています。ご自身の制作や鑑賞の視点に重ねて読んでいただければ幸いです。

2025年5月22日木曜日

リトグラフ写真製版技術の歴史 ― 光と石が織りなす印刷の革新

リトグラフ写真製版技術の歴史 ― 光と石が織りなす印刷の革新

写真石版アニメーション
PHOTO
露光 → 現像 → 印刷:19世紀の写真石版印刷をCSSで表現

リトグラフ(石版画)は18世紀末に誕生し、19世紀にかけて印刷と芸術の世界に大きな革新をもたらしました。特に、19世紀後半から20世紀にかけて発展した「写真製版技術」の導入は、従来の手作業中心のリトグラフ制作を大きく変え、現代のオフセット印刷へとつながる橋渡しとなりました。今回は、このリトグラフと写真技術の融合がいかにして起こったのか、その歴史を辿ってみましょう。

1. 石の上に描く:リトグラフの誕生

リトグラフは1796年、ドイツのアロイス・ゼネフェルダーによって発明されました。彼は音楽の譜面を安価に印刷する手段を探しているうちに、石灰岩(リト)と油性インク、水の反発性を利用した印刷法を確立します。

この技法は、従来のエッチングや木版とは異なり、画家やイラストレーターが「直接描ける」版画として急速に広まりました。特に19世紀中葉には、ドーミエやトゥールーズ=ロートレックなどの画家がこの技法を愛用し、表現の自由度の高い媒体として花開きます。

2. 写真との出会い:製版技術の進化

19世紀半ば、ダゲレオタイプや湿板写真などの写真技術が誕生すると、印刷業界は写真を印刷物に転写する方法の開発に乗り出します。

1850〜60年代、コロタイプやアルベュム印刷などの技法が試みられる中で、リトグラフとの融合も始まりました。これが「フォトリトグラフ」や「写真石版(photolithography)」と呼ばれる技術です。

3. フォトリトグラフの技術的仕組み

写真石版では、感光性の物質(当初はクロム酸塩にゼラチンを加えたもの)を石版に塗布し、ネガフィルムを密着させて露光します。光が当たった部分は硬化し、非露光部は洗い落とされることで、画像の明暗を版に転写できる仕組みです。

この技術は、細かなトーンや写真のグラデーションを石版で再現することを可能にし、新聞や広告、地図製作などの分野で広く応用されました。

4. オフセット印刷の登場とリトグラフ写真製版の終焉

20世紀初頭、ゴムローラーを使った「オフセット印刷」が誕生すると、写真製版はさらに洗練されていきます。金属板(特にアルミ)への転写が主流となり、石版は次第に姿を消していきました。

しかし、写真製版技術としてのリトグラフの遺産は、そのままオフセット印刷へと受け継がれました。現代でも、手刷りのアート印刷や一部の版画工房では、写真と石版の融合が芸術的に継続されています。

5. 芸術と産業の間に残る「写真リトグラフ」

今日、写真リトグラフは主にアートの世界で再評価されています。石版を使った写真のプリントは、手作業による味わいと独自の階調を持ち、現代の作家や版画工房においても試みられています。

一方で、産業的には電子工学や半導体製造において「フォトリソグラフィー(photolithography)」という名前で進化し続けています。ここでも、光と化学反応によって微細なパターンを転写するという基本原理は、19世紀の石版写真製版と共通しているのです。

リトグラフ写真製版技術の年表

年代 出来事
1796年 アロイス・ゼネフェルダー、リトグラフ(石版印刷)を発明(ドイツ)
1820年代 フランスで新聞・ポスター印刷に石版が普及
1839年 ダゲレオタイプ(初の実用写真技術)発表
1850〜60年代 写真画像を印刷に転用しようとする技術開発が始まる
1860年代 感光性ゼラチンを用いたフォトリトグラフ(写真石版)が登場
1875年 オフセット印刷の前身技術がアメリカで試され始める
1890年代 写真製版技術が広く普及(フォトグラビュール、コロタイプなど)
1904年 アメリカでオフセット印刷機が実用化
1920〜30年代 商業印刷が金属オフセットに移行、リトグラフは主に芸術用途へ
1960年代以降 写真リトグラフが芸術分野で再評価され始める
現代 版画工房などで写真リトグラフの伝統技法が継承されている

まとめ

リトグラフ写真製版の歴史は、石と光と化学反応の三重奏によって築かれた、技術と芸術の交差点といえるでしょう。手作業と機械、芸術と産業、感性と科学が交差したこの技術史は、現代の印刷文化や電子技術の源流として、今も私たちの身近に息づいています。

2025年5月19日月曜日

物理的生存率としての版画美術の生存戦略

物理的生存率としての版画美術の生存戦略

― 分霊箱としての作品生命と、美術遺産に刻まれた呪的拘束 ―

美術は、単に「美しいもの」の創出ではない。とりわけ版画は、その複製可能性において、他の美術ジャンルとは異なる「生存戦略」を持つ。ここで言う「生存」とは、物理的な現世的延命のことだ。そして、版画が物質としてこの世界にとどまり続けるということ自体が、人類文化に対するある種の呪術的拘束として作用していることを、私たちはもっと意識的に捉えてよいのではないか。

■ 分霊箱としての版画

J.K.ローリングの『ハリー・ポッター』に登場する「分霊箱(Horcrux)」は、魂の一部を他の物体に隠し入れることで不死を目指す魔術である。この概念は、案外と版画芸術に通底する思想である。作者の意図、手技、集中、無意識、嗜虐と愉悦…それらが刻印され、転写され、複製される版画作品は、まさに作者の「一部」であり、世界に分配された霊的断片に他ならない。

1点ものの油彩や彫刻と異なり、版画は数十、数百単位で頒布される。その分、作者の存在確証(エクリチュールのような)は希薄になるかもしれない。だが、皮肉にもそれこそが、作者をこの世界にしぶとく長く結びつける呪術として機能するのだ。

■ 複製がもたらす「在り続ける力」

物理的に分散された作品群は、時に美術館の奥底に、時に個人の書斎の壁に、またある時は蚤の市の箱の底にある。だがそれらはいずれも「同一の霊的コード」を共有している複体(アグリゲート)であり、個々に作者の霊的意志の「触媒」となる。

それゆえ、どれか一枚でも残っている限り、作者は「ここにいた」という存在証明を世界に対して行い続ける。この点において、版画は、時の淘汰に抗う美術のゾンビ化装置とも言える。

■ 呪物化する美術遺産

美術館やコレクションに所蔵された作品は、「文化的資産」であると同時に、我々に対する行動制約の発生源でもある。

たとえば「失われると困る」「守らねばならない」「解釈し続けなければならない」といった感情は、作品が我々に与える無意識の呪術的拘束そのものだ。作者が死してなお、その残した版画作品は我々に記憶の強制と反応の継続を課す。「忘れてはならない」「敬意を払え」「破壊してはならぬ」と。

これが、現代においてもなお「美術館」という制度が機能し続ける理由の一つだ。そこは、霊的な記憶を冷蔵保存する墓所であると同時に、人類の行動を律する呪物の保管所でもある。

■ 最後に:美術とは、文化に仕込まれた「まじない」である

版画は、芸術表現である以前に、人類の生存本能と結びついた物理的延命の装置である。そこに刻まれた線、色、圧力、余白、刷り損じすらも、すべてが「在ること」の証明として機能する。

このようにして版画作品は、ただ壁に飾られるだけでなく、人類社会に魔術的影響を及ぼす装置=分霊箱として存在し続ける。そこには祝福と呪詛、愛と執着、希望と拘束が、ひとしく込められている。


追記(あるいは注意書きとして)

本記事は、版画に関する個人的な観念的・呪術的視点から構成された思索的エッセイであり、科学的あるいは歴史学的な厳密さを主旨としていない。だが、作者自身の実作の現場においては、こうした「まじないとしての美術」の視点が、不可欠な創作指針となっていることをここに記しておく。

2025年5月15日木曜日

ブルッハ(魔女)の天気予報と新しい仕事

ブルッハ(魔女)の天気予報と新しい仕事

目覚めると、窓の外の瓦をポツポツと雫が叩いている。雨音が聞こえない所を見ると大して降ってもいないようだと思ったが、出勤するのが億劫になるのは同じだ。エマニュエルは、何故か昔から濡れるのが嫌いだった。

ジャンヌは既に起きて、朝食の準備をしているようで、昨夜のスープを温め直している事が目では無く鼻でわかった。ベットから出たエマニュエルは、春とは思えぬ程の肌寒さに、眉を顰めながら素早く服をきた。

「おはよう。今日は早めに出たほうがいいわよ。昨日マドガさんが今日は大荒れになるって言ってたから」とジャンヌが、バゲットを切り分けながら言った。

エマニュエルは窓の外を見て、遠くにある重たげなブルーグレーの雲を見て、「くそ、何てこった」と毒づいた。マドカというのはこのアパートに住む最古参で、年齢不詳のスペイン人老女だ。長く占い師をやっていたらしく、様々な事を言い当てるが、特に天気に関しては百発百中の精度を誇るのだ。

マドガを見ると、いつかルーブルで見たゴヤのエッチングに出てくる箒に乗った魔女(ブルッハ)を思い出す。本人は「あたしゃしがない占い師さ」と言っているが、垂れて色の抜けた灰色の瞳の中には、得体の知れない強い光があって、エマニュエルは、きっとこの婆さんは魔女の末裔に違いないと思って密かに恐れていた。

ともかく、あの婆さんがいうならと、エマニュエルは朝食を急いでかっくらって家を出た。

だが、結局、家と工房の中間地点で雨は土砂降りに変わり、濡れ鼠の程で工房に飛び込んだ。マルセルが目を向いて驚いて、「惜しかったですね」と、にっと笑ってタオルを投げてよこした。

「全然惜しくないよ、ありがとさん」睨みながら笑って返すとすぐさま作業着に着替えた。濡れた服は夕方までに乾くだろうか?

新しい仕事の始まり

今日から新しい仕事だ。親方のモローに事務室へ呼ばれ、話を聞いた。

親方の名はアントワーヌ・モロー。15才で故郷のクレルモン=フェランを飛び出し、パリの印刷工房クルギャ工房(バスティーユ)で見習いとなる。30才の時にクルギャ工房が経済的破綻で廃業した際、自ら独立を決意。

クルギャのプレス機3台、石版大中小合わせて20枚、各種設備を破格の値段で譲り受け、1870年、自らの工房「la maison noir(黒い家)」をモンマルトルに開設。以降20年、借金返済と高い税に苦しみながらも維持を続けてきた、不屈の精神を持つ50男だ。

今回の依頼は近所の出版社「近代文化社(Société de la Culture Moderne)」から。児童向け教本『世界の国々(Les Pays du Monde)』で、世界の国の風景と民族衣装を着た人々の挿絵、簡単な説明文を掲載。全52ページ(A5サイズ)、二色刷り(黒+赤)。

部数は500部。出版費用を抑えるため、出版社が倉庫に抱えていたラグペーパーを活用しようという試みらしい。販売価格は1冊3フラン程度。印刷代は安く、儲けは薄い。

親方は帳簿を叩きながらボヤく。「材料費と人件費を引いて、利益は350フラン。手間の割に金にならん!」 近代文化社とは古い付き合いなので断れないらしい。

親方は「1か月でやれ」というが、流石に無茶だ。エマニュエルが「マルセルの教育にいい機会だ。将来への投資と考えましょう」と説得し、なんとか1か月半(45日)に延ばした。

仕事は5人で行う。エマニュエル、同僚のベルトランとフィリップ、元セーヌ川の運搬船員で石版研磨専門のピエール、見習いのマルセルだ。他の工員は劇場ポスターの仕事をしており、人手の追加は難しいが、刷版時に応援を回してもらえることになった。

工房の匂いと段取り

工房は狭く、インクと湿った紙の匂いが充満している。奥の棚に20数枚の石版が積まれ、作業の準備を待っている。木製プレス機3台、鋳物製2台。高窓からは曇天の光が差し、色の確認がしやすくなっている。

中央の大テーブルにチームを集め、出版社の版下と挿絵を確認しながら割り振りを決める。1石版で4ページ(2国分)を面付け。10枚の石版をローテーションしながら使用し、全体で26版。印刷枚数は13,000枚+試刷り80枚。

予算が厳しいため、転写方法は薄紙とグリースペンシルを使用した安価な方式にする。フィリップはこの技術に長けており、マルセルに教えるには良い機会だ。

今日の作業:面付け設計。ベルトランには説明文の組版、フィリップとマルセルには薄紙転写の準備、ピエールには石版の研磨を任せる。

雨の工房

ピエールの研磨音がザリザリと響き、大粒の雨と遠くの雷鳴が混じる。エマニュエルは面付けに集中するが、稲光に顔をしかめる。

夕方、雨が上がり、今日の作業は終了。マルセルは濡れた薄紙の扱いに苦戦したが、勘は悪くない。

「チキショウ、明日こそ上手くやってやりますよ!」とマルセルが言うと、フィリップが「ガキ、焦るな。破るなよ」と笑う。

服はまだ湿っぽく、着心地が悪い。エマニュエルは舌打ちしながら帰路についた。工房のインクの匂いとマルセルの気合が、頭に残っていた。

2025年5月11日日曜日

トナー転写リトグラフ

レーザープリンタを使ったリトグラフ印刷の方法|パブリック・ドメイン作品で楽しむ

レーザープリンタを使ったリトグラフ印刷の方法|パブリックドメイン作品で楽しむ

はじめに

この記事では、パブリックドメインの絵画作品をもとに、レーザープリンタで出力した画像をアルミ板に転写し、一色刷りのリトグラフ作品を制作する方法をご紹介します。

使用する素材と準備

今回は、1800年代のオランダの画家 Alexandre Ver Huell の作品を使って印刷を行います。

Artvee というサイトから、著作権の切れた絵画を無料でダウンロードできます。A4サイズ程度の印刷には十分な解像度です。

画像の加工

  1. Artveeからダウンロードした画像を、Photoshopなどで開きます。
  2. 中間トーンが潰れないように、明るさ・コントラストを調整し、線と面をくっきりさせます。
  3. 完成したら、JPEGまたはPNGで保存します。

版下の作成

  1. Affinity Designer 2(またはIllustrator)でA4サイズのドキュメントを作成します。
  2. 保存した画像を配置し、必要であれば見当線(トンボ)を追加します。
  3. レーザープリンタで出力します(反転の必要はありません)。

アルミ転写と製版工程

  1. インクをローラーに準備し、スポンジやアラビアゴムも用意します。
  2. アルミホイルを水で湿らせ、プレス機の定盤に貼りつけます。
  3. 出力したコピー紙の裏側に有機溶剤を筆で塗り、トナーを浮かせます。
  4. 溶剤が揮発したら、印刷面をアルミに重ねて転写し、プレス機でゆっくり圧をかけます。
  5. コピー紙を剥がし、アラビアゴムを塗って親水面を作ります。

刷りと仕上げ

  1. 版を湿らせながら、インクをのせたローラーでインクをのせていきます。
  2. スポンジやスプレーで水を補いながら乾燥を防ぎます。
  3. 紙を置いて、プレス機で刷れば完成です。
  4. 必要があれば再度アラビアゴムを塗って版を保護し、繰り返し印刷も可能です。

よくある質問(FAQ)

Q. どのようなプリンタを使えばいいですか?

A. レーザープリンタを推奨しています。インクジェットプリンタではトナーが転写できません。

Q. 使用できる紙の種類は?

A. コピー用紙(普通紙)がベストです。厚紙や光沢紙は転写しにくくなります。

Q. 画像を反転する必要はありますか?

A. 今回の方法では反転せずに印刷してください。反転は不要です。

Q. ソフトは有料のものでないとダメですか?

A. PhotoshopやAffinity Designerが推奨ですが、無料ソフト(例:GIMP、Inkscape)でも対応可能です。

Q. どれくらい繰り返し刷れますか?

A. 転写状態や管理次第で、10枚前後の刷りが可能です。

この記事がリトグラフ制作の参考になれば幸いです。作品制作の楽しさを、ぜひご自宅でも広げてみてください。

パン屋のイラストと、画家になれなかった男

パン屋の娘と、画家になれなかった男

パン屋のイラストと、画家になれなかった男

今日は、工房にパン屋の主人が訪ねてきた。
先日納品した広告の出来がよくて、客がどっと押し寄せて助かった、と。
手には焼きたてのパンの包み。親方も、思わず顔を綻ばせていた。

親方は、有名な工房で長く修行を積み、四十歳で独立した職人だ。
根は善良な人なのだが、経営の苦しさからいつも少しイライラしている。
自身も高いリトグラフの技術をもっているが、エマニュエルの腕は密かに高く評価している。
だが、褒めすぎると調子に乗って他へ行ってしまうのでは、と不安があり、なかなか素直には褒めない。

「この広告に描かれてた、パンを抱えてる女の子の絵が評判でね」
パン屋の主人は笑って言った。
「中には切り抜いて額に入れて飾った客までいたよ」
「これ、誰が描いたんだい?」

親方がエマニュエルを紹介した。
「こいつだよ。うちのエース職人さ」
パン屋は目を丸くして、

「ギュスターヴ・ドレが描いたのかと思ったよ!」

エマニュエルは照れたように笑って、

「よくあるイラストですよ」

と謙遜した。だが、ドレを心から尊敬している彼にとって、その言葉は胸に響いた。

そこへ、マルセルが余計な一言を差し挟む。

「俺も思いました。ヴェルレーヌさんって、何でこんな所にいるんですか?」

親方の眉がぴくりと跳ねたが、客の手前、怒鳴らずに済ませた。
「マルセル、お茶を淹れてこい」
厨房を指さしながら静かに言う。

パン屋は苦笑しつつ、親方の肩を軽く叩いた。

「いい従業員がいて羨ましいよ。大事にしなよ」
「分かっとるよ」

親方は照れくさそうに笑いながら、エマニュエルの肩をぽんと叩いた。


エマニュエルは、小さい頃から絵が得意だった。
本当は画家を志して、市の画塾にも通っていた。
けれど、ジャンヌと出会い、ブロンディンが生まれたとき——
彼は絵か家族かを選ぶことになって、迷わず家族を選んだ。

その選択に後悔はない。けれど、心の奥に燃え残った美術への憧れは、時おりマグマのように噴き出してしまう。
今回のように、ただのパン屋の広告であっても。

画家の性、というものだろう。


帰り道、エマニュエルは言いようのない幸福に包まれていた。
自分の絵が、誰かの心を動かしたという事実。
胸の奥から湧き上がる衝動に、いてもたってもいられない。
この気持ちを紙に、いや、キャンバスに叩きつけたい。
すべてを忘れ、捨て去って描き続ければ、いつか偉大な画家になれるのだろうか——

そんな煩悶を抱えながら、彼は我が家のアパートの窓の灯りを見上げる。
あの優しい光が、彼を現実に引き戻した。

「いや、これでいいんだ。俺には、最高の家族がいる」

そう呟いて笑う。

通りに漂う、それぞれの家の夕餉の匂い。
小さな幸福が溶け込んだ空気に、エマニュエルの足取りは、少し軽くなった。

2025年5月10日土曜日

小鼠の帽子とマルセル少年

石版工エマニュエルのある日

今日もいい天気だ。今日はブルンヌ通りに新たに開店するパン屋の小版チラシの版下を仕上げる日。大体描き終わっているので、スムーズに仕事が進むはずだ。

ジャンヌのうまい朝食とコーヒーを腹に収めながら、末娘のマリーが「お姉ちゃんみたいな帽子が必要な理由」を力説している。「あなたには赤いリボンのがあるでしょ」とジャンヌがいさめると、マリーは「もうハイスベルドさんちのネズミみたいに毛羽立ってるし、雨の日にチーズみたいな匂いがするから嫌だ」と反論。ブロンディンが「そんなに匂わないわよ、せいぜい小鼠よ」と擁護するも、「小鼠の帽子は嫌だ!」とマリーは怒り、ジャンヌが「じゃあ今度、アマンディンヌさんの店に見に行こう」と落ち着かせた。

ブロンディンが「あれ、ママの叔母さんからもらったんでしょ? 下手すればルイの王様の時代の帽子じゃない?」と笑うと、ジャンヌは「そんなに古くはないわよ、せいぜいナポレオンの時代よ」ととぼけて、皆で笑いあった。

ちなみに、先週マリーが欲しがった時も、近所の変人絵描きヤロスラフ・ハイスベルド氏が「これは我が故郷で祝祭に使われる伝統の人形だ」と言って、まるで呪いの儀式用のようなぼろぼろの人形を差し出してきたという。「あれを飾るくらいなら帽子を10個我慢するわ」とマリーが本気で震えたというのも、まだ皆の記憶に新しい。

さて、工房に着くと、見習いのマルセルが忙しなく掃除していた。「おはようございます、ヴェルレーヌさん」と元気に挨拶する15歳の少年に、「ちゃんと食べてるか?そんな細腕じゃあ石板を触らせてもらえんぞ」とエマニュエルが半分冗談で言うと、「じゃあ親方にもっと給金あげてって言ってくださいよ」とマルセル。エマニュエルは笑いながら「もう少し動きが良くなったらな」と返すと、マルセルは「俺、頑張って世界中の版を湿らせますよ!」とスポンジを握りしめて意気込んだ。

マルセルはもともとエマニュエルの近所に住む悪ガキだったが、ある日、壁の落書きから絵の才能を見抜かれ、版画工になるよう導かれた少年だ。今ではすっかり工房の一員で、絵も好き、体もよく動くので皆に可愛がられている。

だが午後、彼は油断して石板の角を欠かしてしまう。親方の雷が落ち、当面の昇給は見送りとなり、マルセルは意気消沈。エマニュエルは「まあ、元気を出せ」と肩を叩いて、ふたりで家路についた。

2025年5月9日金曜日

休日の光の中で — 石版工エマニュエルの一日

休日の光の中で — 石版工エマニュエルの一日

休日の朝、エマニュエルはいつもより少しだけ遅く目を覚ました。
よく眠ったはずなのに、体の奥底には、まるでヘドロのように重く沈殿した疲れが残っている。もうひと眠りしたい気持ちに抗えずにいたところ、次女マリーがベッドに駆け寄ってきて、揺すぶるように囁いた。

「パパ、ピクニックに行く約束、覚えてる?」

「ああ、そうだったな」
と微笑み、彼はマリーの栗色の髪を優しく撫でて、ゆっくりと身を起こした。

昼、家族四人はセーヌの河岸へと出かけた。
長女ブロンディンと次女マリー、そして妻ジャンヌとともに、初夏のセーヌ川の岸辺で靴を脱ぎ、ひんやりと心地よい水に足を浸す。そよ風に揺れるポプラの葉が光を反射し、ゆるやかな波紋とともに穏やかな時が流れていた。

バゲットにはジャンヌ特製のパテをたっぷりと塗り、チーズ、トマト、ピクルスをそれぞれ好みにあわせて挟む。頬張るたび、家族の笑い声が弾け、セーヌのほとりに幸せが満ちた。

帰り道は少し回り道になるが、エマニュエルの希望でシャンゼリゼ通りを通ることにした。
目当ては、広告塔に貼られているはずのポスター──彼が工房で刷り上げた、デボン社の新作香水のアフィッシュだった。

午後の陽差しに照らされ、広告塔に貼られたその一枚は、たくさんの通行人の称賛を受け、柔らかく輝いていた。
画家エチエンヌ・キャトルスー氏による描き下ろし。香水瓶を掲げ、恍惚とした表情を浮かべる女神像。その全身像を印刷するため、工房最大のプレス機の刷り幅ギリギリを使い、上下を継ぎ足して長さを何とか確保した。工員一同汗みどろになって完成させた力作だった。

「パパがこの絵を描いたの?」

ブロンディンが瞳を輝かせて尋ねた。

エマニュエルは笑って答えた。

「いや、絵を描いたのは偉い画家先生さ。パパたちはその絵を石に写し、刷り上げるんだよ。ひとつひとつ、手でね」
「へえ、パパってすごいんだね!」

と、マリーがこげ茶色の瞳で感嘆の声を上げた。

「そうよ、あなたのパパは、このあたりで一番のリトグラフ職人なの」

ジャンヌが腰に手を当て、少し誇らしげに笑った。

そのまま市場に立ち寄り、夕食の買い物をして帰宅したころには、空は茜色に染まりはじめていた。家の扉を開けると、安堵と共に一日の疲れがほどけていく。

その晩、エマニュエルはベッドに横たわりながら、シャンゼリゼで見た自作のポスターと、娘たちの無垢な笑顔を思い出していた。

「なかなかに充実した一日だったな……」

そう心の中で呟くと、誇りが胸に静かに満ちていく。そして、彼は穏やかな眠りに落ちた。

石板工エマニュエルの1日

石版工エマニュエルの一日

石版工エマニュエルの一日

「今日も愛する家族のため、頑張るぞ!」

モンパルナスのアパルトマン。朝6時、エマニュエルは薄明かりの中、きしむベッドからゆっくりと起き上がる。年季の入った寝間着の袖をまくり、窓を開けて外の空気を吸う。セーヌの向こうから焼きたてのパンの匂いが漂ってくる。

妻のジャンヌが作ってくれたカフェ・オ・レをすすりながら、子どもたちの寝顔を確認する。まだ小さな二人の娘の顔を見ると、どんな疲れも一瞬だけ消えるのだ。

午前:工房にて

工房の扉をくぐると、すぐに親方の怒鳴り声が響いた。「エマニュエル、昨日の試し刷り、微妙にズレてたぞ!やり直しだ!」 「かしこまりました」とだけ答え、黙々と石版を磨き直す。 精密な描線、繊細な陰影。刷りの一瞬にすべてが決まる世界で、彼は今日も自分の技術と向き合う。

午後:芸術家の無茶ぶり

昼過ぎ、有名な挿絵画家ロシュフォールがやって来た。「この猫の毛並み、もっと"詩的に"描けないかな?」 エマニュエルは心の中でため息をつくが、顔には出さない。「もちろんできます。少々お時間を」と返し、石の表面に細い針のようなペンで一本一本、毛を描き足していく。

夕方:仲間とのひととき

「昼は食ったか?」と職人仲間のルネが声をかける。4人でスープを分け合いながら、古い冗談と小さな夢を語り合う。 「この仕事、地味だけど、芸術を支えてるって思うと悪くないよな」 「ああ、手が真っ黒でも、心は誇り高くいられる」

夜:家族と静かな終わり

夜10時、家に戻ると、子どもたちはもう眠っている。ジャンヌが紅茶をいれて待っていた。 「おつかれさま。明日は日曜日よ」 「ああ、家族でピクニックに行けるな」 ふたりで他愛もない会話を交わし、エマニュエルはランプの下で目を閉じる。

ベッドに横たわり、静かに今日一日を振り返る。親方の声、インクの匂い、画家の細かい注文、仲間の笑い声。そして家族のぬくもり。 「今日もよく働いたなあ……神はお前を誇らしく思うだろう」 エマニュエルはそう呟きながら、眠りに落ちていった。

2025年5月8日木曜日

墓の中から肩を叩かれるまでがアートです

経済不況下における、だからこその美術活動

――墓の中から肩を叩かれるまでがアートです――

墓の中から肩を叩かれるまでがアート

不況です。不況、不況、大不況。
財布の紐はキュッと締まり、投資家の表情はすっかり浮世絵の武士よろしく引き締まり、パンすら値上がるこのご時世に、なんと、こんな時に、あえて、美術活動に励む人々がいます。

もちろん「何それ、意識高い系?」と思ったあなた。いえいえ、むしろこの方々、意識が高すぎて大気圏を突破してます。もはや酸素が足りません。

でもね、考えてみれば当然なんです。

市場経済という名の巨大ファストファッション工場から離れ、アートを投資対象として見る目が白目になりかけている今だからこそ、「誰にも頼まれてないけど勝手に文化やってます」な人々――我らが草の根精神的貴族たちの出番です。

彼らは売れないことを恐れません。なにせ、最初から売れると思っていないのです。

彼らは評価を求めません。なにせ、最初から評価されると思っていないのです。

彼らはもう、墓の中から未来を見ています。土の中で腐葉土になりながら、「そうか、あの時の作品が今ようやく再発見されたか」と、未来の学芸員にドヤ顔するその日を夢見て、今日もペンを持ち、ローラーを回し、謎のインスタレーションを黙々と設置します。

その姿に、神はそっと近づき、肩を叩くのです。
「ご苦労だった。続けたまえ」

でもその神、たぶん見た目は大家のオバちゃんです。
「また変なもん部屋に持ち込んで…ちゃんと火事に気をつけるのよ!」

――それでも私たちは今日も作る。
資本主義の山を越え、芸術の谷を越え、墓石の下から文化のタネを蒔く。

頼まれてないけどやってることほど、実は歴史に残るってこと、あると思います。

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