石に刻まれた革命:リトグラフが日本にやってきた日
幕末から明治へ、印刷技術が世界を写し取る時代
◆ 幕末、フランスから届いた"魔法の石"
時は1860年代、開国の余波がまだ冷めやらぬ江戸後期。一台のリトグラフ機が、フランス政府から徳川幕府へと贈られた。 それは、石の板に絵を描き、何百枚も正確に刷り出せるという──当時の日本では考えられなかった驚異の技術だった。
活字印刷がようやく根づき始めた時代。そこに突如現れた、筆致をそのまま残し、色を重ね、絵の魂を複製する技術。この"魔法の石"は、 政治の記録、軍事地図、美術の複製、そして知の翻訳手段として、幕府の技術者たちを魅了した。
◆ 明治維新と「殖産興業」──印刷機械の国産化が始まる
明治政府が掲げたスローガンのひとつが「殖産興業」──西洋技術を取り入れ、国力を増すという野心的な計画だ。 印刷技術も例外ではなかった。ドイツやフランスから持ち込まれた石版印刷機は、東京や大阪の技術者たちによって分解・研究され、 しだいに国産化への道を歩み出す。
当初はただの模倣にすぎなかった。しかしやがて、日本の美術的センスと職人技が融合し、手動式のリトグラフプレスから、 半自動・多色印刷対応の機械へと進化していく。特に東京機械製作所など、明治中期に興った機械製造企業がこの動きを支えた。
◆ クロモリトグラフの黄金時代と雑誌文化の躍進
大正時代、日本の都市には活気が満ち、メディアが急速に拡大した。印刷文化の中心には、「彩り」があった。 クロモリトグラフ──すなわち多色石版印刷技術の登場である。
それは単なる複製技術ではなかった。風景画、舞台の宣伝ポスター、商品ラベル、美術書……。 多色刷りのリトグラフは、日本中に「美」を流通させた。博文館が手がけた絵入り雑誌や、 美術雑誌『国華』の挿画などは、今なおクロモリトグラフの金字塔として語り継がれている。
◆ 静かに幕を閉じる石の時代
しかし技術革新は止まらない。1930年代に入ると、オフセット印刷機という新たな主役が登場する。 安価・高速・量産向き。この利点がクロモリトグラフを押しのけ、ついには石版印刷は職人とともに静かに舞台を去った。
だが忘れてはならない。この石の技術がなければ、日本の近代美術も、印刷文化の多様性も、決して花開かなかっただろう。 今も美大や一部の工房では、ひそやかにこの技術が息づいている。音もなく滑る石の上のローラーの音に、時代の記憶が宿る。
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▲ 明治時代のプレス機を模したイメージ