AI時代の工房 ――「乱数沼」が目指す場所
朝の清掃の仕事も、もう二十年近い。
来るべきロボットとの清掃スキル戦争に備え、日々技を磨いてきた。七十歳くらいまでは現役でマンション清掃を続け、場の不浄を祓い、悪きを退け、人々が心地よく暮らせる一助となれたなら、それで十分だと思っていた。
その後は、小さな版画工房で細々と食いつないでいく。
そんな人生設計だった。
しかし、どうにも時代が速すぎる。
AIは絵を描き、文章を書き、音楽を作り、知識を整理し、人間の仕事を次々と飲み込み始めている。数年後には、今とはまったく違う社会になっているかもしれない。
では、小さな版画工房は、何を目指せばいいのだろう。
考え続けた末に、一つの答えへたどり着いた。
工房を作るのではない。
「場」を育てることだ。
AIに代えられないもの
AIは多くのことを代替できる。
作品も作れる。文章も書ける。知識も整理できる。
しかし、その工房で失敗した版、その日に偶然生まれた色、誰かとの会話から始まった作品、長い時間をかけて積み重なった技法や記録まではコピーできない。
だから私は、作品だけでなく、実験や失敗も記録し続けている。
SQLiteに蓄積した技法データも、AIと対話する仕組みも、工房の「頭脳」を育てる試みだ。
知識、技法、歴史、信頼。
それらもまた、AI時代に残る「所有物」なのだと思う。
乱数沼という名前
最近になって、「乱数沼」という名前の意味を、自分自身がようやく理解した気がしている。
「沼」の一字は、私の好きなフランス映画『Les Enfants du Marais(沼地の子ら)』からいただいた。
あの映画には、いい大人たちが一日中沼で遊び、語り、酒を飲み、何かを作って過ごす風景があった。
効率とは無縁なのに、どこか豊かな時間。
私が作りたかったのは、そんな空気だったのだ。
そして「乱数」。
- 偶然の出会い
- 偶然の失敗
- 偶然の色
- 偶然の発見
乱数沼とは、「偶然が美へと変わる場所」である。
人が集まる「場」を育てる
展示スペースも、そのために必要だと思うようになった。
版画作品だけではない。
デザイナーのポートフォリオ、試し刷り、失敗した版、色見本、実験の記録。
完成品だけではなく、その作品が生まれるまでの「地層」を見せる場所。
そこへ人が集まり、作品を見て、話し、また新しい作品が生まれていく。
私は社交的な人間ではない。
一人で黙々と版を刷っている時間の方が好きだ。
だから、人を楽しませる役はAIに任せてもいい。
工房に来た人がAIへ質問し、版画史や色彩、技法の話を聞き、来場者同士が会話を始める。
その横で私は静かに版を磨いている。
そんな工房でもいいと思う。
AIは語り部にはなれる。
しかし、「ここで展示していいよ」「刷ってみよう」と、その場を開くことは、人間にしかできない。
私の役目は主役ではない。
場を整えること。
庭師のように土を耕し、あとは人と作品が自由に育っていく環境をつくることだ。
これからの乱数沼
AI時代だからこそ、人間が同じ空気を吸い、版の匂いを感じ、お茶を飲み、偶然の会話を楽しむ場所には、これまで以上の価値が生まれるのではないか。
乱数沼は、作品を売るためだけの工房ではない。
美が物質となり、人と人とが静かにつながる、小さな沼でありたい。
時代は速い。
だからこそ、急がずに育てるべきものがある。